2020/04/30
鍼灸師の見る世界 私の場合
何事も、長く続けていると見える世界は変わっていきます。
鍼と体が紡ぐ世界はとても面白い。
まだ初心の頃、鍼は肉に入っていく金属の細い棒でしかなかったのに、今は私にとって鍼はただの金属の棒ではないのです。
まさに、指の延長。でも指とイコールでもない。
鍼ならではの先端の感触があって、しかもそれは物質としての鍼だけじゃなく、鍼を持つ自分の延長としての感覚もある。
鍼の先端が何かに触れるよりも前に、こちら側の何かが患者さんの何かに触れる感覚は不思議です。
それこそ初心の頃は、物質である鍼の先がどこに触れてるのかもあまり分からない状態なのに、感覚は使えば使うほど細分化されてって、細かな情報を読み取れるようになります。
ツボの捉え方もすごく変わっていきます。
人間に話しやすい人やとっつきにくい人があるみたいにツボにもそういう感覚があって、素直なツボとか、頑固なツボとか、当たりは柔らかいのにノラリクラリとかわすツボとかがあります。
単純に出ている症状によく効くと統計的に分かっているツボを使うこともあれば、自分で探索する場合もある。
探索するとき、私の方法は、辛い部分に左手を当てて、右手が反応する部分……左手と右手が繋がるように感じる部分を探すというものです。
左手を当てた時の、自分の体に広がる感覚にも注意します。
ここが良くないぞ、と自分の体で感じた部分と同じ場所を相手の体で探り、反応するツボを見つけます。
だから同じ腰痛の治療でもひとりひとり違うし、同じ人の治療でも毎回違います。
治療はとても楽しい。
人は決して頭と胴、手足という部分の集合体ではないというのを、肌で感じます。
昔、治療技術を磨く講習会のアンケートの中で、『あなたはどんな治療がしたいですか?』という質問をされました。
私は、『ジャムセッション※のような治療がしたい』と答えて、『イメージが曖昧過ぎる』と苦笑されました。
※本格的な準備や、予め用意しておいた楽譜、 アレンジにとらわれずに、ミュージシャン達が集まって即興的に演奏をすること
あの頃は今のような治療スタイルも持ってなくて、曖昧と言われても仕方のないイメージでしかなかった。
でも今、その時のイメージに近い治療が出来ているな、と自分で思います。
患者さんのからだがあって、治療する私がいて、それは別々の存在ではなく、治療部屋の中で一体となってエネルギーが動いていく。
それは互いが影響を与え合う世界。
……と言うとカッコイイですが、まあ毎回毎回満足のいく治療が出来るわけではなく、最高の一曲!と言えるような時間はめったと過ごせませんが(笑)
また5年、10年と積み重ねる時間の向こうに、新しく見えるものがあるんでしょう。
今からちょっと楽しみ
ずっと続けられるように、日々自分こそが健康に気を付けていきたいです
みゆ